いかにしてえねまは恋愛ゲームに填ったか それは1997年の春でした。
とある電化量販店のPS(プレイステーション)ソフト・コーナーで私はそれに遭遇したのです。
「ときめきメモリアル」通称「ときメモ」と呼ばれるこのゲームこそ、私えねまを恋愛ゲームの亜空間へと引きずり込んだ悪魔にして天使だったのです。
実のところ、私がやりたくて買ったわけではなく、うちのカミさんがこういう少女マンガっぽい恋愛物好きそうだなぁ...うん、安くなってるし(確か新品で2980円でした)、ご機嫌伺いに...と買ったのが真相です(ゲームの内容も知らなかったし(^^;)。
正直言いまして、それまで私はこういう恋愛ゲームをバカにしてました。「よくもまああんな恥ずかしいゲームができるもんだな、あんなんで疑似恋愛体験して喜ぶなんて...だからオタクは...」とまあ、よくあるパターンですね。
さて、家に帰ってカミさんにやらせようと思ったら、「今忙しいから後でね」というつれないご返事。となると、ここがゲーム好きの悲しい性といいましょうか、「どんなもんだか試しでやってみますか」と、自分でやっちゃったんですね。
数時間後、マリアナ海溝よりも深く(古い喩えだな)「ときメモ」に填っている私がいました。「こんなはずじゃなかった...」と後悔しても時はすでに遅し...それから数日間それこそ寝食を削って私は「ときメモ」をやり続けました。
そう、私は壊れてしまったのです。(この「壊れる」という表現は「ときメモ」にずっぽり填っている状態を表現する言葉として「ときメモ」系のHPに載っていたのですが、実に良くできた表現だと思いますね。)
でわ、何故私は「ときメモ」に壊れてしまったのか。それは懐かしさ故です。
もちろん、私自身が「ときメモ」の主人公のような高校時代を送ったからではありません(別に暗く寂しい青春を送ったわけでもありませんが...)。そういう体験的なものではなく、胸がキュンとなる切なさ、甘酸っぱさといった、恋をすることによって生じる思いがなんとも懐かしく感じられたのです。そして、それは実生活においてずいぶんと長い間忘れていたものだったのですね。
「ときメモ」浸りだった私も、数ヶ月たつとさすがに熱も冷め(その間にKONAMIの戦略にうんざりしたという理由もありますが)、以後しばらくの間は恋愛ゲームをすることもなく平和に生活する日々が続きました。しかしながら、この1997年という年は、後に私を恋愛ゲームの奈落の底へ突き落とすことになる究極の恋愛ゲームが発売された年でもあったのです。
時は流れて1999年、ふとしたきっかけで私はその究極の恋愛ゲームと出会うことになります。
「TO HEART」、(MARK=ALMONDのアルバムに似たようなタイトルのものがありますが)これがそのゲームのタイトルです。このゲームについてはいくら語っても語り尽くせません...(といいながら、後で語っちゃうつもりですが...(^^;)
とにかく、このゲームをきっかけに、私は恋愛ゲームの世界に深く入り込んでいくことになるのです。