第1回公演ということですべてを手探りで進めるなか、最も楽しかったのは“台本作り”でした。
もちろん実際にストーリーを考え台本にするのは作家の山下なのですが、
「すべてお任せ。書きたい話を書きたいように書いて下さい」というのでは鬼界浩巳事務所を設立した意味が無くなってしまいます。
かといって、こちらから提示したあらすじを山下が台本化するといったやり方では尚更、意味がありません。
どのように台本作りを進めていけばよいのか?
答えを見つけるため、とにかく打ち合わせを繰り返しました。
しかし、台本の執筆を依頼するなんてことは生まれて初めての経験で、打ち合わせをしようにも何を話し合えばいいのかわからず、
‘何を打ち合わせるか打ち合わせるための打ち合わせ’から始めることになりました。
公演準備の経過記録、通称“僕の秘密ノート”を見ると「良くまあこれだけ」と感心するくらい頻繁に打ち合わせしてます。
1週間に2.4回ペース、つまり3日に1回は会っていたのです。まるでつきあい始めラブラブ状態の学生カップルです。
そして、この過程において「3人兄弟のコメディー」という大枠が決まり、さらなる打ち合わせの末『歌う幽霊』が誕生するのです。
その一方この間に消えていったアイデアは相当ありました。
山下まさるが考え出した兄弟をめぐるストーリーは、51本もあったのですから。
その一部を、僕の秘密ノートから紹介すると、
◆一発屋の兄弟フォークグループがケンカ別れ以来、
テレビの特番で10年ぶりに再結成することになったが・・・
◆田舎の旧家の葬儀。喪主の長男が帰ってこない。
やがて現れた彼は、美形のニューハーフになっていた。
◆父が痴漢で捕まった!
身請けに行った警察の廊下が舞台となる、すったもんだ劇
◆寝室の家具がしゃべり出すお話し(鏡台・ベッド・レースのカーテン)
◆『母を訪ねて三千里』兄弟版(これは泣けた)
◆三つ子がケンカするはなし
◆めくら・つんぼ・おしの三兄弟
◆本家と分家の腹違い兄弟。信頼、裏切り、その生きざま。
(これは骨太の人間ドラマでした)
などなど
使えそうなものから、「一体どうやってやるの?」というようなものまで、
その可能性を僕たちは真剣に話し合ったものです
少々解説を加えるなら、‘フォークグループ’は、僕が音痴すぎてボツ、
‘ニューハーフ’は、僕の女装姿があまりに不評でボツ、
‘三つ子’と‘めくら’はギャグのネタ数はダントツ多かったのですが、
僕に三つ子の兄弟がいないのと、あまりにクレームが多そうだったので涙をのんでボツにしました。
こうして完成した『歌う幽霊』の台本は、忘れられないものです。
お客様に送ったDMの文面から
『歌う幽霊』公演迫る
100回を優に越える打ち合わせを経て、決定台本を手にした時、僕は「勝った」と思いました。良くあるでしょ、いい俳優さんが出てるのに、クソつまらない芝居やドラマ、映画。お芝居の成否は台本で決まります。それほど今回の台本は素晴らしかった。そして稽古を重ね、初共演の寺十吾が期待違わず、独特の持ち味を発揮すれば、鬼界・橋本も負けちゃあいません。誰が一番、観客の心に残るか、誰が一番おもろいか、果てしない死闘を繰り広げています。第一回公演を飾るにふさわしい出色の出来です。ご都合つくようでしたら、是非ご来場下さい。あなたに損はさせません。
かなりこっぱずかしい文章ですが、台本に対する満足度と意気込みが伝わってきます。
出演してくれた寺十吾は、「じつなしさとる」と読みます。
お客様に送った別のDMの文面から
以前、僕が上野の美術館で警備員のバイトをしていた時、『ルノアール展』に妙な客がいました。毎日通ってくるのですが、毎日同じ服装なのです。サントリーの景品の小汚いトレーナーに、ファッションではなく膝に穴の空いたジーンズで、“うさんくさい”を絵に描いたような人物です。ただ、靴下だけが、赤・黄・緑、赤・黄・緑のローテーションで変化し、僕たちは密かに‘信号野郎’と呼んでいました。彼は絵の前で「さすがルノアール。コーヒーはまずいが、絵は最高。」とか「ルノアール。子供の頃はルノちゃんか。変な名前だ...」(ちなみに本当はオーギュスト・ルノアールだから、ルノちゃんではありません。)とか訳のわからんことをつぶやくのです。そして、『ルノアール展』も終わったある日、友達のお芝居を見に行くと、なんと‘信号野郎’が出てるではありませんか!彼は俳優だったのです。名前を「寺十吾」といいます。
後で彼に聞くと、「人類史上最も尊敬する」ほどルノアールが好きで、
一日も欠かさず通ったそうです。(僕がその場にいたことにはびっくりしてました)
また、彼に言わせると「美術館での独り言なんてまだ序の口」だそうです。かなり変な人です。
では最後に、公演当日のパンフレットに掲載した‘ごあいさつ’です。
僕の渡世日記
〜おもろい父と母の巻〜
僕の父と母はひどくかたよった映画ファンです。
父は時代劇専門で、鞍馬天狗から、若さま侍捕物帖に、椿三十郎、チョンマゲの人が刀を持っていれば何でも見ます。小学生の頃、町に一軒しかない映画館にチャンバラがかかると必ず連れて行かれたものです。やがて映画も佳境に入り、囚われのお姫様に好色な勘定奉行がにじり寄り、恐怖におののく姫のアップ。その時です。「浩巳、ここで拍手や!」と父の声が飛び、拍手と共に白馬にまたがった正義の剣士が画面を疾走する。まさに絶妙のタイミング。僕は父から“間”を学びました。ただ父の難点は、ホームドラマやコメディの時にも「悪役は一体、誰なんや?」と探し続け、勧善懲悪の発想から抜けられないことです。
母は、加山雄三の「若大将」一本やり。ちょっと困ったけど楽しいのは、上映中に裏話を語ってくれることです。「あんな偉そうに歌ってるけど、若大将の最初の2本を見てみ。加山雄三がどんなに音痴やったか。二枚目のくせに笑かしてくれはるねん。」とか「青大将の田中邦衛は、中学生の頃どうしようもないワルで、やることなくて俳優になったんよ。家出は5回してます。」とかネタは豊富でした。ただ、すいてる時には決して語りません。そこそこ客が入ってる時にだけ、邪魔にはならないけど、周りの客にもはっきり聞こえるように、微妙な話し方をするのです。まさに見事なテクニック。僕は母から“息”を学びました。
そんな二人に育てられた僕は、18の春に、映画を見るために東京の大学に入学します。
東京行きに猛反対した父との大ゲンカがどんなに激しく、どれほどおかしかったか。
そして東京へ向かう途中、新幹線の車内に突然現れた母!その不気味な微笑の意味するものは?
風雲急を告げる、波乱の第2回を待て。(つづく)
[おまけ]『歌う幽霊』は、チラシに文章を載せた、唯一の公演です。
鬼界浩巳は、きかいひろみと読み、これが本名です。しかし、大抵の人は「えっ、機械?」と驚きます。「動作がギクシャクしてるに違いない」と勝手な解釈をするのはいい方で、8ケタの暗算をやれとか、ゲームボーイを修理してくれなどと言われるのには閉口します。「そりゃ、キッカイな名前だ」とダジャレを飛ばし、悦に入っているのは、中年の方に多いようです。鬼界。確かにすごい名前です。でも、身の毛もよだつ八つ墓村のような“謂われ”は、そんなにありません。だいいち、政界・スポーツ界・鬼界と並べると思ったほど違和感は・・・あるか、やっぱり。「鬼界浩巳事務所」。まるで公認会計士のような固い名称ですが、力まず真摯に演劇に取り組んでいこうと思います。まずは11月。どうぞご期待下さい。
1996年11月14日〜11月17日
作・山下まさる、演出・大杉祐
出演・鬼界浩巳、寺十吾(tsumazuki no ishi)、橋本きよみ