
2公演を終え、照明・音響からチラシの印刷屋さん、本番中に出前を頼むラーメン屋さんまで
スタッフも固定化し、チームワークは抜群。
1998年、鬼界浩巳事務所は第3回公演『そんなアホな話・・・』に臨みました。
お客様に送ったDMの文面です。
いきなりですが、本年、1998年を飛躍の年にすべく、関係者一同、様々な計画をたてております。
例えば、
○長野五輪出場選手激励特別公演に参加
主演はサッカーの中田英寿。あの彼が陽気に2時間しゃべりっ放しのスポ根コメディー。
○東京ドームで一人芝居
演劇の特性を生かすため、マイク・拡声器類は一切使用しない。
ただし、時々ささやき声になるので、観客は相当の注意力が必要とされる。
○全国縦断マラソン芝居
北は釧路から南は石垣島まで1日50q走りながらの演劇。もちろん観客も伴走しながら見る。
(全て予定)
そして、その先陣を切る、1998年期待の第一弾は
『そんなアホな話・・・』、漫才師のおはなしです。
(題名そのまんまや!と言われそうですが...)
「おいおい、なんだか、とばしてるぞ」。そんな印象を受ける文章です。
そして、時代を感じさせます。ワールドカップ予選で活躍し、中田選手が一気にブレイクした、あの頃を思い出させます。
『そんなアホな話・・・』は台本を福田卓郎さんに依頼し、
‘TEAM発砲・B・ZIN’という劇団の、‘ラヴ&ピース川津’君が出演してくれることになりました。
(余談ですが、福田さんは現在、日本テレビの『向井荒太の動物日記 愛犬ロシナンテの災難』のシナリオを書き、
川津君は俳優をやめ、売れっ子アート・デザイナーとして大活躍です。)
福田さんが主宰する、‘劇団疾風DO党’の公演で、
この前年の1997年に僕と川津君は共演していました。
その‘劇団疾風DO党’のお客様に送ったDMの文面です。
疾風DO党の公演打ち上げでこんなことがありました。
鬼界「(ベロベロに酔っている)DO党の公演楽しかったぁー。大人数のお芝居はいいですねぇ!」
福田「(もっとベロベロ)そうだよ!芝居は大人数にかぎるっ!」
鬼界「でも、ホント言うとね、僕は少人数のお芝居が好きなんですよぉ」
福田「そうだよ!芝居は少人数にかぎるっ!鬼界ちゃん、なんでこんなに俺の心がわかるんだ?あんた、魔術師?」
鬼界「(大声で)そう、僕は恋の魔術師なんですっ!!」
福田及び飲み屋の客全員「・・・・・・・・」
鬼界「(全く動ぜず)出演者が3人のお芝居を書いて下さいよ」
福田「もちろん!俺が書かないで誰が書くんだ。書きましょう!!!」
そして、翌日
ラヴ&ピース川津「ゆうべの話なんですけど、僕もやりたいなあ」
福田・鬼界「なんのこと?」
こんな経緯で『そんなアホな話・・・』はスタートしました。
(そんなアホな...)
快調にとばしています。
しかし、この後、最悪の展開になるとは誰が予想したでしょう...。
お客様に送ったDMの文面です。
残念ながら、今回の『そんなアホな話・・・』は公演中止となりました。
昨年の夏以来、
‘作家の福田さんが考え出す、人物・状況の設定、ストーリーに僕が無理難題を出す’
という形で打ち合わせを重ねてきました。忙しい仕事の合間を縫っての作業なのに、
僕が望む以上のものを発想する福田さんは素晴らしく、構想はどんどんおもしろさを増していきました。
しかし、中盤以降の展開に僕がこだわったため、あらすじ段階でラストがまとまらず、
台本として執筆に取りかかるのが大幅に遅れ、結局、完成が2月19日になってしまいました。
残された時間は2週間。
演劇界の常識で考えれば、なんの躊躇もなく公演を行うことになります。公演の3日前に台本が完成したとか、初日の朝にようやく出来上がったなんて話はザラですから。
しかし、
「上演したい台本だけを共演したい俳優とだけ納得いくまでやり尽くす」
「お芝居の品質は私が責任を持って保証いたします」という
鬼界浩巳事務所設立の趣旨を考えると、2週間では決定的に稽古時間が不足だと判断しました。
「間に合わせだろうと何だろうと、とにかく公演は予定通りに行う」というだけでは意味がなく、
作り手が納得しお客様も満足できる作品を上演することが大切だと考えました。
失う信用、関係者に及ぼす迷惑、数百万円の経済的負担を考えれば、
信じられない、気違い沙汰、自分勝手、脳ミソ溶けてんの?と多数の非難が寄せられても仕方ありません。
それでもベストの状態で上演したい、そんな夢物語のような理想を求めている僕をお許し下さい。
こんな事態を引き起こした責任は全て鬼界浩巳にあります。
本当にすみませんでした。心からお詫びします。
最後になりましたが、『そんなアホな話・・・』は来年必ず上演します。
(鬼界浩巳事務所次回公演は本年(1998年)11月の『パジャマでお邪魔』です。スタッフ、キャストのスケジュール上、この順になります。)
さらに
『そんなアホな話・・・』のチケットを折角、お買いあげ頂いたのに、このようなことになり申し訳ありません。
お客様が僕たちに寄せて下さった期待、信頼を裏切るような行為は、
どんな言葉をもってしても許されるものではありません。
「絶対の自信を持ってお見せできる、質の高い舞台を作り続ける」という
鬼界浩巳事務所の今後の活動によってのみ、反省とお詫びの気持ちを皆様にお伝えすることができるのだろうと思っております。
今回の事態を生涯、胸に刻みつけ、より一層励んで参りますので、今後とも何卒よろしくお願い申しあげます。
本当に申し訳ありませんでした。
振り込んで頂いたチケット代金と手数料を払い戻しさせていただきたいと思いますので、同封のはがきにあなたの口座、お名前、ご住所、お電話番号をご記入の上ご返送下さい。
僕の人生で一番の苦い出来事でした。
そして、そんな打ちのめされた僕たちを救ってくれたのはお客様の励ましでした。
この年(1998年)の秋の公演、『パジャマでお邪魔』の時、お客様に送ったDMの文面です。
今年の3月、生まれて初めての公演中止を決めたあと、
思いもよらない反応がいろいろとありました。
図書券だけを封筒に入れて速達で送ってくれた人(一から勉強し直せというメッセージでしょうか?)。
旅先のバルセロナからわざわざ激励の手紙をくれた人(関係者一同、泣きそうになりました)。
そして、朝7時に駅のホームと思われるところから、さんざん非難の言葉を浴びせかけ
一方的に電話を切った後、夕方5時におずおずと謝罪の電話をかけてきた人(どんな一日を過ごしたんだろう)。
さらには、午前2時過ぎに無言電話を10日間かけ続けてきた人(シャイな水商売の人?)。
様々な方から様々な反応がありました。
数多くの励まし、そして数多くのお叱りをもらって
「鬼界浩巳事務所はみなさまに支えられてるんだ!」と痛感した春でした。
全くその通りです。